教会の歴史
1957年、当時山形第一聖書バプテスト教会(通称、東原教会)の会員であった山口民子姉が、地域の子どもたちのために山形市蔵王成沢地区にある自宅を開放して日曜学校を開くようになりました。その後、山口良一・民子夫妻は米国宣教師ジョセフ・G・ミーコ師とその通訳を務めた陶山節子師を自宅に招いて毎週金曜日の夜に家庭集会を始め、ここからこの地域にイエス・キリストの福音が伝えられ、信じる人々が起こされ始めました。これが私たちの教会の始まりとなります。「日曜だけではなく毎日子どもたちを見てほしい」との地区の要望を受け、山口宅にて「蔵王めぐみ子供園」(1969年に「蔵王めぐみ幼稚園」へ)が始められ、1959年にはこの集会に集まっていたメンバーたちが「蔵王聖書バプテスト教会」として一つの教会となりました。この年を教会設立年としています。
幼稚園の働きがあったもののやはり厳しい農村伝道の中で、周囲の諸教会の助けを受けながら、当教会は新築された園舎の一室に集まり数名で信仰生活を守り続けていました。1969年、東原教会の創立20周年を記念して開始された山形市南部に新しい教会を生み出す事業に合流し、島貫新平牧師を迎えて山形市桜田にある借家に集まるようになり、さらに名称を「蔵王キリスト教会」に改めました。1973年、三つのクリスチャンホームと数名の婦人たちからなる教会員たちの祈りと、周囲の教会や幼稚園関係者、そして近隣の方々などによる多くの助けにより教会堂(後の「教育館」)が建設されました。同年には当時山形福音伝道隊(山形の教会の協力ネットワーク)の主事でもあった川崎廣牧師を迎え、その後1977年に専任の牧師として招聘しました。この年には陶山節子師も当教会へ転会されました。
その後、会堂建設からほぼ10年の間に2度の会堂増築(1977年と1983年)が行われたほど多くの人々がイエス・キリストを信じて当教会に加えられました。そのような中でさらに「200人教会」の思いが与えられ、現在まで使用されている礼拝堂が1988年に新たに建築されました。それからも米国の青年たちを招いての短期英会話教室の働き、子供たちのための礼拝や集会、婦人の会など数多くの働きがあり、さらに多くの人々にキリストの福音が伝えられていきました。
この時代に、当教会と通して新しい教会が生まれていく働きがありました。1985年には米国宣教師ジム・ペナー師の協力で行われていた聾者部礼拝のメンバーが「山形聾者キリスト教会」として別に会堂を建築して独立しました。1996年からは米国宣教師ジェイ・エリス師の協力を得て山形市飯田地区で「子羊チャペル」(後の「こひつじキリスト教会」)が始まりました。
また同時期に当教会から牧師、宣教師やその夫人たち、またクリスチャンキャンプ場スタッフなど、多くの働き人たちが各地へ送り出されて行きました。
1999年から2000年にかけて、当時仙台バプテスト神学校の校長を務めていた森谷正志師を牧師として招聘しました。この時期、当教会は福音を信じた者の群れとしてキリストの教えの内に建て上げられること(弟子としての成熟)を強く意識させられ、仙台バプテスト神学校から発信された「C-BTE(教会主体の神学教育)」の理念のもと、「教会とは、神を信じる複数の家庭が集まる大きな神の家族である」という理解の中で、家庭の建て上げや次世代育成に力を注ぎました。その理念の中で次の牧師として2010年から2016年まで高内健牧師が立てられ、引き続き健全な家庭のあり方を教え続けると共に、フリースクール(学習支援)や英会話教室、また、この時期に起きた東日本大震災後の宮城県東松島市への支援活動など、福音の働きと地域社会への貢献を両立してきました。その後、2018年に同じく当教会の中で育った辻和希牧師が立てられ、現在に至ります。
As for me and my house, we will serve the Lord